プログラミング技術を使って「表現者」になる為に必要なものは何か

結論:強い心と編集力

「プログラミング的思考」と「プログラミング」の違いは、既に定義されている言葉や数式や性質だけを利用して考える「プログラミング的思考」か、又は、勝手に自ら定義する文字や数式や性質も追加利用して完全に自由に考えることのできる「プログラミング」かの違いだけです。

上述した以外は同じです。その同じ内容とは「プログラミング的思考」も「プログラミング」も共通事項を探して全体を編集していこうと考える根っこです。

例えば日本地図の例で説明しますと、本当は日本地図は下の右側の図でなければいけませんが、日本を表現する場合には、細かな部分を「思い切って省く」ことで逆に日本がくっきりと解り易くなります。

株式会社編集工学研究所の安藤昭子氏が講演 から

同じように、プログラミング的思考「既存の数式による思考」でも、プログラミング「新たに定義する数式での思考」であってもできるだけ多くの共通項で括ろうとすることで全体を論理的にスッキリさせることは略図と同質のものと言えます。

つまり、複雑な内容を「共通項で括り省いていくこと」即ち「編集」するこで物事全体を解り易くする「考える」という目的の「本質」そのものと言えます。

まとめますと、自由な発想力で目的物(数式のオブジェクト)を定義するプログラミングは即ち考えることであり、考える事とは、いかに多くの「共通項目」を探せるか、いかに「同じ性質」を探して1つに括れるかと言い換えられます。

つまりプログラミングのポイントは、抽象化能力の向上そのものであり同質の「プログラミング的思考」も即ち思考力向上そのものといえます。

編集力とは、端的に言えば 「まとめてわかりやすい形にする」為に「省く 」ことであり「括る」ことでした。

生活に密着した例で考えますと自分のホームページに撮りためた写真をまとめるのであれば「同じ種類や性質で括り見やすく分かりやすく」することが編集といえます

日常でもこの編集力を感じる場面が多々あります。例えば、料理をどう盛りつけるかやテーブルのどの場所にどんな料理を配置するかも、編集の一種であり、これはアナログ的な編集力を付けるはずです。

料理の配置一つで、料理の新たな価値や食欲をそそらせることもできそうです。他には、皿の色や形の組み合わせがその料理に華やかさを与えたりもできます。そんな力も編集力の成せる技と言えます。

表現者は「強い心」を先行させ「編集力」を後付けすれば良い

編集力は大変重要ですが、先ず頭に潜んだ、植え付けられたコンテンツを吐き出そうとする「強い心」が先にないと始まりません。

何か表現するというのは、誰にも相手にされない覚悟が必要で、「何この表現」「何よこの見方」とか言われることにはある意味鈍感である必要もでてきます。

承認されたい欲求より以上に「頭の奥底にあるものをアウトプット」しそのアウトプットした内容を総合的に解り易く編集したいという熱い思いです。

普通なら人に見せる前に自分で取り下げます。下手くそな自分に嫌気がさして途中でやめたくもなりますが、どうしてもアウトプットしたくて、つくり続けるというのが実態なわけです。

表現者はかなりの勇気と忍耐が必要です。まるで先のわからない海底を潜水で潜り続けているようなものですから、嫌になり止めたくなるのですが、やり続けるのは「何かが」自分にあると信じているからのでしょう。

クリエイターに1番必要なものは「強い心」です

頭の底にある何かを耐えて引き上げる「心の強さ」を持っているならば「クリエーター」としての才能の期待をもつべきです。

並行して「表現する技術」はHTML+CSS+JAVASCRIPTのWEBスキルを向上させるか、あるいは外注することで対応は可能です。

編集力は自分以外の人に任せることができますしそのほうが良いかもしれませんが、「強い心」だけは独自のもので他人に頼れない絶対的な条件と言えます。

周囲の目と自分の見方に「ズレ」があるからこそ、そこに表現のネタがある

「世界を見つめる微細な観察力」を持っているか否かは大切です。

真っすぐな素直な感覚の持ち主が逆に周囲からは、「ひねくれもの」と考えられがちな所は面白い部分ですが、物理的にも説明できます。

周囲の人々が、世間という「重い重力」にひかれている為に空間が曲がって見えるのだということだろうと思えます。これは事実に近いのではないでしょうか。

説得力は、いかに素直に物事をみて真芯に当てるかということだと思いますが、みんなが見ている風景が既に曲がっている場合には素直な方の捉え方は、自ずと相手には新鮮な提案になっているはずです。