論理国語の導入の必要性を「プログラミング的思考」で解説

1から4は起承転結に当たり、4の結ではプログラミング的思考でそのシナリオを書いています。結論から見られたいかたは次をクリック下さい。

結論 ⇒ こちらに「フロー図」で解説

1.国語教育の「今とこれから」

現在の国語の種類

  • 現代文(評論)
  • 小説
  • 古文
  • 漢文

2022年から導入の国語の種類

  • 論理国語
  • 文学国語
  • 国語表現
  • 古典探求

国語教育の改訂の背景

OECDで3年ごとに実施されている学習到達度調査「PISA」によると、2015年のPISAで読解力の平均点が前回より低下していることがその背景にあるようです。

「現状にある情報化の進展に伴うなかで、義務教育化している高校生の読解力改善が急務である」ことがやっと認知され国策に投影されることは素晴らしいと感じます。

2020年に小学生1年生から「プログラミング的思考」が必須化され、2022年には高校生から「論理国語」が選択できることは日本の将来を明るくする改定と言えます。2045年に予測されているシンギュラリティーへの布石も打ててきたと感じうれしく感じます。

2.今までの国語教育の不思議

Google Earthのアルゴリズムが崩れ、こんな風 に

現在(2019年)ですが、本来、社会人で知っておくべき論理的な文章の組み立て技術(パラグラフ・ライティング)が、日本の初等中等教育界でほとんど教えられてこなかったことが不思議です。

正直、60歳近くなる私も高校できちんとした「論理国語」を学べたほうが時間的ロスがなかったのではないかと感じます。恐縮ですが国語教員の道徳教育的な内容の授業では社会にでてもあまり有効とは言えません。

但し、文学的教養としての国語教育については、研究者を目指す方が高校、大学で極められれば良いという意味です。理系の者にとって今までの国語、漢文、古文で得るべき論理的能力は数学、物理、化学で十分に得られるわけですので有効ではないとしか言いようがありません。

逆に考えると、そもそも日本の国語教育は戦略的に「非論理的」思考を維持する為や中央集権を強化する為にあるのかと考えるのが妥当な気がします。

文学教育も中学3年までの義務教育までで十分であり、かつその教育方法も下手な教員でなくオーディオBOOKと塾講師による論理的解説のビデオ学習にすべきとも感じます。

もっと社会で通用する論理的能力の育成を戦略的に取り組む教員や方法を徹底して浸透させることが本当は必要だと思います。

3.新指導要領の概要

<必須科目の変更につて>

共通必履修科目が国語総合(4単位)から → 現代の国語(2)と言語文化(2)になる

<選択科目の変更につて>

選択科目は、従来の国語表現、現代文A、現代文B、古典A、古典Bから → 論理国語、文学国語、国語表現、古典探求(いずれも4単位)に変更される。

<その各科目の概要は>

  • 論理国語では、近代以降の論理的な文章や実用的な文章を用い学ぶ
  • 文学国語では、近代以降の文学や古典、評論文等を学ぶ
  • 国語表現では、例えば「文章と図表や画像などを関係付けながら、企画書や報告書などを作成する」、「紹介、連絡、依頼などの実務的な手紙や電子メールを書く」といった活動をする
  • 古典探求では、古文や漢文を学ぶ。

<選択科目の扱いについて>

必履修の2科目は全ての高校生が履修するが、選択科目については各学校や生徒の裁量に任される。

選択科目から複数の科目を履修させることもできますし、1つの科目だけを履修させることもできます。また逆に全く履修させなくても問題はないらしい。一方、複数の科目を開講して、生徒に選ばせることもできるという非常に合理的な判断ができます。

本当に正しい教育選択ができるようになって良かったと思います。

<2021年度導入の「大学入試共通テスト」>

2021年度からセンター試験に代わって導入される「大学入試共通テスト」の国語の試験には、記述式の問題が新たに加わります。

この改定も正しいと考えます。あまりにも社会人の論理的に書く能力がなく報告書は単語の羅列だけで結輪までのフローが編集されていないと感じています。

つまり「書く力は考える力そのもの」ですので、考える力を養うには記述式を増やすしかないというのがその根拠でしょう。

能力の改善はINPUTの読書量を増やすことでなくOUTPUTである書く量を増やすことでなされるわけですので、記述力の改善は即ち能力の改善であり大歓迎です。

若者の間での知人間の短い文章や友達メールのような文章は遊びですが「起承転結、PDCA」といた型、DATA、根拠に基づいた論理的にOUTPUTを行い無駄を省く編集力の観点がないと戦略的な思考で攻めてくる世界の猛者たちの餌食になってしまうことは避けないといけなので文句をいろいろ言わずに兎に角OUTPUTに注力する教育展開にしてもらいたいと思います。

その上でプログラミング言語を習得することへも飛躍するのではないかと期待しています。

<文学作品について論評への考え方>

教育評論家が「実学が重視され、文学作品が軽視されている」と指摘しているのは結構ですが、それも「文学作品をを盾にして自分を守る」悲しい言い訳をしているとしか思えません。

また、こうした中、文芸評論家の中には「高校国語から『文学』が消える」という指摘をされていますが全くの浅はかだと感じます。

根拠は「クラシック音楽」は絶滅しましたかという事です。繊細なメロディーは、論理的な音の配列を駆使して創作されていくわけです。文学作品はその意味で「論理」「感性」の双方を極めた上で初めて創作できるものです。

論理を突き詰めた作家の繊細な文章を読みたくなる為にも、また繊細な音楽を聴きたくなれる能力を養成するためにも「論理的思考力」「読解力」の強化が必要と論評してこそ本質に近いと考えます。

4.論理国語の導入の必要性を「プログラミング的思考」で解説

何を「繰り返し」て論理的能力を高めるかというと「読解力」を学び強化する為には「要約しOUTPUTし共通性を抽出し編集」する能力を高めこれを「繰り返す」ことで読解力を向上させ「論理的能力」の向上を行いAI時代に対応するというシナリオです。