大人も「国語」に自信がないのは何故か

国語は、大人になった今も自信が無いのは何故か(総括)

大学入試で国語に強ければ偏差値UPに直結する事は間違いないと誰しも感じてましたよね。だけども、わざわざ勉強しなかったんじゃないですか。

不得意ながら必死に考えて偏差値50前後の人が、文章の「解読力」が付けば偏差値60、更に「論理的に書く力」が付けば偏差値65以上も夢ではないはずです。

解ってはいますが国語にわざわざ時間を割く必要性を感じる自分が居なかったのも事実です。現在57歳にして過去を反省しています。

国語の代表的な疑問を3つ書きます。

 

【1】国語が嫌いになるのは何故

【2】国語で偏差値を上げる方法は何か

【3】国語は社会人に重要か

 

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【1】国語が嫌いになるのは何故

国語が嫌いになる理由は主に3つあります。

先ずは、勉強の方法が単純に解らない。そもそもなんで日本人の自分が母国語を勉強するのという「納得感」が無い事。

次に、国語の問題を解く場合に、自分がこれが答えだと考えたものが、絶対違うと思ったものが正解の場合が非常に多く、「何故」が頭を駆け巡り「納得感」が得られない事。

最後に他人の責任しますが、国語の先生は、国語の勉強の本質を教える事をせず、「道徳を教える」傾向があり、受験となった時に何の助けにもならない方ばかりが実態。

つまり、「国語」の勉強が「暖簾に腕押し」や「糠に釘」の状況に置かれます。

現実的には限られた生活時間の中で、わざわざ国語を勉強する時間が有れば、「数学」「英語」「理科」「社会」を勉強します。

何故なら「国語」よりは遥かに得点でいると感じられる科目だからですね。

更に付け加え得れば、日本人である自分が、母国語を勉強する意味が解らず、国語の長文問題集を読む気にもならないのが本音です。

突き詰めて言えば、国語を勉強する事は、「日本人である自分を否定された気持ちになる」という認識も腹の奥底にあるような気がします。

所が、時々やはり少しは勉強しようと「自分否定」を乗り越えて国語の問題集を解いてみますが、結果は更に「無力感」を感じます。

そんな経験された方は多いはず。どんな経験かと言えば「正しい」と思って結構、自分では自信のある答えが全く違う経験です。

また、良く問われる設問に「文章を読んで最も適切な内容を選びなさい」という設問は、大げさに言えば「無力」を感じます。

必ず4択枝の中に2つは正しい答えがあり1つに絞れない様になっていて時間を浪費して結果として酷い点数になる経験ですね。

また、たまたま正解しても「なんで正しいのか」が不明瞭で判然とせず勉強した気分になれない自分がいます。違いますか。

敢えて頭の悪い方でなく、頭の良い方に確認しても、ほぼほぼ同じで自信がない人が多いのは、一体なぜかが長年の私の疑問でした。

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【2】国語の偏差値を上げる3つの方法

①国語の偏差値を上げる「新聞」の読み方

先ずは、入口の部分で、新聞の読み方が「得点」に直結する部分は、何かといえば、「見出し」が記事の見出しになった理由を考える材料になります。

そんなに真剣に考えなくても良いですが、「テーマUP」する癖をつける事が新聞では大事です。

何故なら、国語の記述問題で「各段落のテーマを書き、総括する」という配点の高い問題に対応できます。

新聞記事に「書かれた内容」と「見出し」の整合性を考える癖です。その場合の癖は「記事の中に書かれた言葉」でる事です。

必ず「記事の中に書かれた言葉」がテーマになっている事に焦点を絞る癖です。記事に書かれていない「飛躍した内容」になっていないかに絞ります。この「飛躍しない」という事が最も重要な事になります。新聞記者は「国語」の得意な方であり、そうそうあなたの近くには存在しない稀有な存在です。事実を積み上げて記事にする事が仕事です。この認識を「理解して読む」癖により国語の偏差値は上昇していきます。

突然ですが、私の書いた黄色の文書を国語の問題にしてみます。

黄色の文章の中で「この認識」とは何を指しますか。次の中で「最も適切なもの」を選んでください。

A:新聞記者は「国語」の得意な方であり、そうそう自分の近くには存在しない稀有な存在

B:新聞記者は事実を積み上げて記事にする事が仕事

C:偏差値を上昇させるには「理解して読む」癖が大事

D:「飛躍した内容」になっていなかに絞る事

いかがでしょうか。どれも黄色の文章の中に書かれている内容です。

国語的正解:B

理由は、私の聞いている設問は「この認識」ですので、国語的には「この」は一番近くにある内容から選ぶという決まりだからです。

「小説」の読み方で国語の偏差値を上げる7つの方法、つまり「論理的」な読み方をして論理的思考に馴染む

意識して読むポイントは7つです。この4つを意識して読めば「小説」を読む意味が、大きく変わりますよ。

1)主人公の気持ちは今、どこにあるか

2)文章の中で「男性的、女性的な視点の様ににして書かれた内容」「しかし、けれども、だが、などの様に順接から逆説にして書いた部分」「全体と部分の様に含まれているように書かれた部分」「双方向に書かれた登場人物の会話」「人と人の出会いのような交点」「人と人の交わっていないが、そっと琴線に触れらえたような接点」「ことわざ、慣用句を書いた部分」などの部分に着目して読む

3)「それは、これは、あの事は、等の指示語が何か」を考えて読む

4)文にする為には「が、は、を、に、と、の、より、から、しか」の助詞が重要だという認識をもって読む

 

5)「つまり、それは、などの言い換えている文章」に注意する

6)「媒介」を意識する。例えば「Aさんは、人は、悪が基本だと考えている」一方「Bさんは、反対に、人は善が基本だと考えている」が「私は、悪も善も両方あると考えている」場合の「媒介」とは「私の考え」であるという事。誰の、又はどんな社会の問題意識や思想が「媒介」となって書かれたかといいう認識

7)数学的な、記号(=、〇、✕、△→、↔、⇅)、含む含まない集合の関係、全体と部分の関係などに注意して読む

特に国語の設問では出題した文章の「大意」として最も適切な内容を4つの中から選びなさいという場合が配点の高い問題が必ずでます。

その際の「答え」選ぶ判断基準は1つです。「全体」を総括しての単語が含まれた内容を選択する事です。

「部分」で100%正しい選択肢があってもそれは間違いです。最も適切なという観点か「全体」を総括した内容の選択肢が正解となります。

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【3】国語は社会人に重要か

1)会社の部署に限らず、国語のできる論理的な文章を書ける方は重宝がられます。

何故なら、文章を論理的に書く力のある方は意外と少ないからです。数学的に分析しその結果を論理的(筋道)に書く能力は幹部になる程に必要度が増すからです。

2)報告書を書く際には国語力は必須です。但し、書き方のパターンがあります。「現状分析、目標設定、その為の対策、進捗管理方法」がその記載方法の基本です。

このパターンを知っておいて、そこに必要なDATAや情報を正しく記載する事がポイントです。

これだけの事で良いのですが、一方でよくあるのが、事実でない感想などを重点的に記載した報告を書く人がいます。

その様な報告書を書く国語力の弱い社員の比率が高い程、会社レベルは低くなり、その社風が全体のレベルを更に押し下げます。

3)違う観点か考察しますと、不思議と、数学を好きな人は国語嫌いで理系になり、逆に国語が得意の人は数学が嫌いで文系になります。

本来、論理的思考という観点では数学と国語は同じであるにも関わらず、反対の系列になってしまう理由は、「数学」を好きだと言う理系の方は「国語」の先生のレベルが低く、逆に「国語」が得意という文系の方は「数学」の先生のレベルが低かったと想像します。

4)国語力という意味では、社会人の鏡であるべき財務省官僚等は超優秀だと認識されています。が、彼らは、国語の点数を取る為の技術が非常に高く、論理的である事は間違いありませんね。

但し、その能力が、助詞を少し変更したり、句読点を「、」を入れたりする事で本来の法律的な文脈を変えるテクニックに磨きをかけます。

つまり、社会に役立つ法律でなく、自分たちの天下り先を作る目的や省益の為にその優秀な能力を使う傾向が強いようですね。

従って論理的な力を高める上で一番重要な事は「社会の有益な目的」が頂点に必要だということになりますね。いかがでしょう。

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