「勉強」と「賢さ」

「勉強」の最終目的と方法

1.■勉強が嫌いになる原因
2.■勉強に対する挫折感の始まり
3.■実際に勉強で「躓いた」きっかけ
4.■「実力テスト」への思い心
5.■上司への忖度の為に「人生」を捧げない!
6.■何から学ぶのか
7.■「論理的とは」を理解する
8.■林先生とイチロウの共通する「賢さ」への登り方
9.■「賢さ」の最高峰は「戦略構築力」
10.■一番大事な事は

1.■勉強が嫌いになる原因

①人
先生の説明が下手
②科目
嫌い科目から逃避(特に、国語、数学、英語)
③金
塾にいく余裕がない

④情報
受験テクニックを得ていない

⑤時間
運動クラブ活動に偏った

⑥環境
誘惑に負ける

等々が考えられますが、「挫折のきっかけ」と何を求めて「勉強する必要」があるかを長い社会人としての振り返りと経験から説明してみます。

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2.■勉強に対する挫折感の始まり

私の場合は中学1年のとき、先ず嫌いになった科目は、「数学」。恐らく70%の方は不得意の筈ですね。
私の小学校低学年4年迄の日課は、毎日夜の6~8時頃まで外で遊んでいました。親しい友人4~5人で公園でブランコ遊びをして「どこまで遠くまで飛べる」かを競ったり、「独楽回しやビー玉遊び」、夏になれば「プール遊び、毛虫をとったり、蛙やおたまじゃくしやロケット花火」をして本当に楽しく遊びました。

とにかく、元気で明るく足も速く、女の子にはモテモテだった頃です。運動会ではいつも1番の旗の所が私の居場所でした。また小学校2~4年生の低学年の時は、クラス40人の内30人以上の推薦で「学級委員長」に毎年選ばれていました。

しかし、高学年の5年生、6年生の時になると、それ迄とは趣は「ぱったり」と変わりました。クラスで1番成績の良い子が委員長に選ばれるようになります。この時から「成績が良くないと駄目なのかなあ~」とは感じつつまだまだ遊び続けていました。

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3.■実際に勉強で「躓いた」きっかけ

勉強ができない事は小学高5年生、6年生ではほぼ認識していましたが、極めつけは中学1年生の時に「数学」で躓きました。
躓いたポイントは「マイナスの概念」です。小学校では例えば「10-9=1」ですが、中学では「1-10=-9」という事を授業で習う訳ですが、その「マイナスの概念」に衝撃を受けた事を鮮明に記憶しています。えっ?そこで躓くかというポイントで転んでいました。

先ず「何故マイナス領域が必要なのか?」が意味が解らなかったことでした。「マイナス」とはどういう世界なのか真剣に悩みましたが、「そこはルール、決め事」というだけの先生の教え方に益々不信感が積もり「数学の脱落者」になった感があります。先生だけの責任ではありませんが。

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4.■「実力テスト」への焦燥感

次に来たのは、中学数学でのX、Yといった「一般化、抽象化」する方程式の考え方に駄目出しを食らい、もうノックダウンです。更に追い打ちは国語で完全にアウトです。国語の「現代文、小説の問題の解き方」が全く解らず、引きずったまま高校受験となります。
あの小学校で感じた「学業成績に対する劣等感」と「受験に対する焦燥感」ですね。英語も実力テストでは中の下でした。今振り返れば、対策を考えれば大した事ではなかったはずですが、どうすれば数学、国語、英語の実力が付くのかのイメージが掴めずに、実力をつける方法への焦燥感は大きくなるばかりでしたが、「クラブ活動(野球)」には色々迷いながらも真面目に取り組んでいました。結局、高校は「内申書は7(10段階)と野球クラブレギュラー」で合格できる公立高校に進学しました。内申書は中の中程度で「実力テスト」いわゆる、総合問題が不得意な学生の典型でした。

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5.■文武両道をやり抜く!

数学、国語、英語が悪いからと言って逆に「記憶力」が優れている訳でもなく、「覚える」事は最低限にしたい質です。

つまり、社会、理科含め全ての座学の科目で実力テストが不得意だったいう事になります。

ただ、この「問題点に対する改善意識」と「遊びで培った運動神経」だけは人一番強かったのでしょう。

高校から、「一から出直し」を誓い、再度「文武両道」を貫きます。

「武」では高校3年生の12月にラグビーでの全国大会に出場。「文」では、高校の学年500人の中で常に1~3番でしたが、実力テストでは歯が立たずに1年浪人して公立大学に合格。

大学卒業後は、一部上場の某化学会社に入社し、入社13年間での営業時代は、全国優秀営業マン賞を13回受賞、全期間の50%の割合で受賞していました。

その後、七転八起の転勤を重ね、最終は部下数で80名程度の支店長までには辿り着きましたが、その時に人生のスタート地点に立てたと感じました。

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6.■何から学ぶのか

会社では、学業優秀な方がイコール「仕事の出来る」人ではない事を身をもって経験をします。ただし、「学業優秀な人の中には仕事のできる人の割合が多い」のも現実です。

一方、スポーツで全国大会出場レベルの人や、部活でキャプテンしていた人、また生徒会長していた人などは出身学校のレベル/偏差値評価とは関係なく「仕事のできる人」になる方が多いのが実社会です。

その実社会の中で「仕事のできる人達」の中から管理職になる為の外せない能力は、「問題点・課題を発見し、分析し、参考図書を読解し、体系化・一般化できる力」です。

この総決算をする為の技術としては「国語力と数学的把握力」が必ず必要ですね。

今考えると「国語と数学の実力テスト」が重要ではなく「問題点を問題点であると感じる力」が先ず重要で、次に「問題解決する方法を自分で考え論理的に説明する」そして「DATA管理をしながら実行する」力が重要であって、「与えらた問題を解く力」は必要だけれども十分では全くあり得ないという事を日々経験します。

つまり「学生のフィールドは、問題が与えられた範囲」だけれど「社会人は問題を自ら発見して自ら解決する」という異次元の世界に突入する訳ですから「問題を与えられて解くのでは仕事はできない人」の範疇になり下がります。

簡単にいうと、「学生には答えが1つで解き方も1つか2つ」ですが「社会人になると、答えが無いという無限の世界」という異次元な訳です。

そんな異次元な中で泳いでいく為には「体力」「根気」「競争心」「知恵」「記憶力」「教養」「遊び心」「交渉力」「反射神経」「説明力」「協調性」「忖度力」が必要です。

つまりこの内容は「勉強」だけで学ぶ事は絶対に無理なんです。やはり「勉強」と「スポーツ」の両方と更に言えば「趣味」から得られる「遊び心」が必要ですね。

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7.■「論理的とは」を理解する

私の「国語力」は40歳でやっと完成しました。きっかけは、管理職の成績がわるく、何か新たなきっかけがないかと悩んでいた時になんとなく読んだ本です。

それがきっかけでその1年間で購入した本は200冊程度。投資費用は1冊1500円として30万円程度です。

購入した中で、実際に読んだ本は100冊でしたが「読んだ100冊の総決算」として単行本レベルでおよそ280ページの冊子(約15万字)にまとめた経験が文章の書き方の方程式を体得させ「書くことに対しての悩み」から脱却できました。

実に悩み始めた15歳から25年が経っています。今考えれば「何に悩んでいたのか」というと「論理的とは」という事swつまり、文章を論理的に書く方法や論理的にきちんと説明できるかという事でした。

恐らく8割くらいの方の頭にある「不得意感」ではないでしょうか。そして57歳になって子供の受験勉強に付き合う中で、遂に「国語(小説)」の解き方、つまり「国語の実力がある」とはどう言う意味だったのかをイメージできる画像にも出会えました。

恐るべきは「インターネット」ですが、「思い続ける」事が重要です。「あきらめない心」が重要です。

更に言えば「塾で学んで国語の成績が良い」事にあまり「賢さ」を感じる必要が無い事や、大事な事は「自分の考えを論理的に表現できる実力」の方が、かなりリスペクトできる能力なんだと視点が転換し解放されて行きました。

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8.■林先生とイチロウの共通する「賢さ」への登り方

「今でしょう!」で一世を風靡した勉学の最高峰「林修先生」と野球界のレジェンド「イチロウ」を比較しての共通点は「学ぶ徹底力」です。

林先生は1989年東京大学法学部を卒業し日本長期信用銀行(長銀)に入社するも「この会社はもうすぐつぶれる」と感じ半年で依願退職。その後、様々な商売を始めるがことごとく失敗し、予備校講師に転身し隆盛を極めました。

片やイチロウは、「いつも笑われていた」とのコメントをある番組で語っていました。それもそのはず、異常な迄の野球への思いが「周囲への大口」に聞こえていた事が原因だと想定されます。

この両者は異常なまでに「学ぶ事への賢さ」が際立っています。まだまだ成長する意思が両者共にある事が更に凄くリスペクトできます。会社には出会ったことがない本物の人物達ですね。

「体力」「根気」「競争心」「知恵」「記憶力」「教養」「遊び心」「交渉力」「反射神経」「説明力」が凄いです。

この方達のレベルになると「協調性」「忖度力」は、上司や内部の人に対する「協調性」「忖度力」でなく外部である「視聴者」「観客」「ファン」に対するものになるのかもしれません。

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9.■「賢さ」の最高峰は「戦略構築力」

数学をベースに国語を突き詰めた林先生と野球学を突き詰めたイチロウは共にその突き詰め方が、「戦術/個別具体的内容」から「戦略/抽象的概念」へのレベルUP、つまり「具体策から一般化を考える習性」にあります。

数学でいうと、個別具体的な数字をX,Yという一般式に抽象化する事であり、イチロウはそれを「感覚」という言葉で表現します。

またその感覚に入る準備としての「ルーティンワーク」、別の言葉でい言えば「集中へのストーリー」を構築する力や癖だと言えます。

つまり、最高峰の「賢さ」に登り詰める方法は2種類あり、1つは「スポーツ」である「武」を追求する方法であり、もう1つは「学業・芸術」である「文」を突き詰める方法だという事です。

ですが、どちらかというと「スポーツ」で突き詰める方法はハイリスクだと考えると「学業」を一生懸命する方が投資効率が良いと思います。

一流のアスリートが「大きな報酬」を得るのは、経済的な観点からいうと「ハイリスク、ハイリターン」であり、ある意味当然な事でしょう。

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10.■一番大事な事は

人生を豊かにする「賢さ」を身に付ける為には、「数学と国語」を突き詰めて「一般化」「抽象化」できる能力を身に付けるか、「スポーツ」「芸術」を突き詰めて「感覚」を研ぎ澄ませるかのどちらでも同じ効果があるという事です。

「大きな目標に対する大いなる執着心(あきらめない心)とそれを克服する為の努力」を継続する事が「賢さ」へのボタンであり、また「似て非なるもの」を実現する唯一の道だと言えます。ある番組で「野球界の総理大臣」落合(元、中日監督)さんが語っていましたが「天才」はいないとう事です。

いるとしたら「努力を妥協なく一番できるする人」が天才になれるのでしょう。最後に、現在の社会で「スポーツ」で登りつめるよりは、安上がりでコスパが高い方法は「学問・勉強の継続」という事です。

そして社会人の間に「賢さ」を身に付け「自分のしたい事はこれだ」と言える事が一番大事だという結論です。長い長い文章でしたがいかがでしょうか。

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